近年、消滅村落という単語をニュースなどで聞くことが増えました。
今日は、この消滅村落の財産についてです。
マニアックな話ですが、「入会権」ないし「総有」の性質の理解につながるテーマかもしれません。
村落の入会権
そして、その共同所有形態は「総有」という性質の共有であると解されます。
共有の性質を有する入会権は、村落の住民の誰かの個別具体的な所有、という形で権利が帰属するのではなく、村落の住民全員にみんなのものとして総体的に帰属する財産として取り扱われます。
このような総有財産は、実質的には、当該住民団体に実質的に帰属しているといえ、各自に持分は認められません(原則)。
そのため、狭義の共有とは異なり、構成員(村落の住民)がその持分を処分するということもできません。
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そもそも入会地ってどういう土地だっけ?入会権ってどんな権利だっけ?という方は、ぜひ次の記事をご参照下さい。
入会地の具体例や入会権の性質などについて解説しています。
村落が消滅した場合の総有財産の帰趨
住民が最後の一人となった場合、まだ「総有」といえるのかなど、結構な難題があるように思います。
村落が消滅していく過程においては、①団体の構成員は徐々にいなくなり、次いで、②構成員(住民)が一人だけとなり、③最後には構成員はゼロという経緯をたどります。
この過程で、②構成員が一人となった段階で、総有財産とされていた財産は、依然としてまだ「総有」と評価されるのでしょうか。
②の段階において、一人でも「団体」として成立していると観念して、「総有」であると理解するのも一つだと思います(村落に今後転居してくる潜在的な構成員が存在する考える。)。
他方で、構成員が「一人」になったのだから、もはや単独所有である、との理解もあり得るように思います。
あるいは、それとも、もっと前の①の段階で、団体の解散及び清算等を観念するのか・・・、まったく想像がつきません。
今後消滅村落が増え続ける過程で、クローズアップされうる難題なように思います。
平成26年10月22日福岡高等裁判所宮崎支部判決
集団の共同体的規制(入会的規制、団体的規制)が全く失われれば総有は共有に転化する旨述べています。
①「入会権は、権利者である入会集団の構成員全員の総有に属し、個々の構成員は、共有におけるような持分権を有するものではない。
「総有は、所有権に含まれる管理権能と収益権能が全く分離し、最も団体的色彩の強い共同所有形態であり、入会権そのものの管理処分の権能については入会集団に属し、個々の構成員は、入会部落の一員として参与し得る資格を有するのみであり、他方、入会権の内容である使用収益を行う権能については、入会集団内で定められた規律に従わなければならないという拘束を受けるものの、構成員各自が単独で行使することができる。」
②「入会集団の構成員の全員が入会権を放棄したときは、入会権は消滅する。」「もっとも、共有の性質を有する入会権の場合は、入会地の使用収益が不能となったとしても、入会地の総有関係が消滅するものではない。」
③「これに対し、使用収益に対して集団の共同体的規制(入会的規制、団体的規制)が全く失われれば、入会権としては解体又は消滅し、その使用収益者間の権利関係は、純然たる民法上の共有関係に転化する。」
裁判例に対する若干のコメント(あてはめ)
「村落の消滅に向けて、構成員がごく少数になった段階で、総有関係は共有に転化すると評価される。」
住民が、2人、3人などのごく少数になった時点で、集団の共同体的規制が失われると評価できる場合が多いと思います。
この場合、宮崎地裁の判断を参考にすれば、入会権が解体又は消滅し共有に転化します。この場合、おそらく持分は等分になるんでしょう。
ただ、実際上は、住民当事者に「共有」に転化したとの意識はないでしょうし、場合によっては共有不動産にかかる負担なども生じますから、消滅村落においてこの結論の妥当性が担保されているとはいえないかもしれません。
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共有に転化するということは、「慣習」ではなく、「民法の狭義の共有に関する規定」に基づいて共有関係を規律するということです。
持分不明な場合に等分と扱うというのもその一つです。