契約がまだ正式に成立していない段階であっても、私たちは自由に交渉を打ち切ってよいわけではありません。
今回は、契約の準備段階で相手の信頼を裏切った場合に問題となる「契約締結上の過失」について、その法的性質が契約責任なのか不法行為責任なのかという重要な論点を交えて分かりやすく解説します。
1. 「契約締結上の過失」の定義と本質
まずは、すべての土台となる法律の一般原則から確認していきましょう。民法第1条第2項には、次のような大原則が定められています。
民法第1条第2項 権利の行使及び義務の履行は、信義誠実に行わなければならない。
この規定は「信義誠実の原則(信義則)」と呼ばれ、社会生活を営む上で、お互いに相手の信頼を裏切らないように誠実に行動しなさい、という法社会のゴールデンルールです。
「契約締結上の過失」の解説
「契約締結上の過失」とは、まだ契約が正式に成立していない交渉段階であっても、一方の不誠実な行動によって相手方に損害を与えた場合、信義則を根拠として損害賠償責任を負わせるという法理(法律上の理論)です。
通常、契約を結ぶかどうかは個人の自由(契約自由の原則)ですから、交渉を途中でやめても責任は発生しないのが原則です。
しかし、交渉が熟し、相手方が「この契約は確実に成立する」と期待するのが客観的に当然といえる段階に達した場合は、話が変わってきます。
そのような段階に入ると、当事者間には特殊な社会的接触関係が生じるため、お互いに相手の財産や利益を害さないように配慮すべきという「信義則上の注意義務」が生まれるのです。
この義務に違反して一方的に交渉を破棄することは、違法と判断されえます。
別の表現をすれば、契約という「法的なゴールイン」の手前であっても、あまりに相手を振り回して傷つけたのであれば、そのフライング行為に対してペナルティを科す、というルールが「契約締結上の過失」の本質なのです。
具体例で見る「契約の信頼」
例えば、あなたがネットショップを開くために、あるビルのオーナーと店舗の賃貸借契約の交渉を進めていたとします。
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具体例A(原則):
交渉の初期段階で、条件が合わずに「やっぱりやめます」と断る場合。これは契約自由の原則通り、何の問題もありません。 -
具体例B(例外):
オーナー側から「あなたに貸すことはほぼ確定だから、オープン準備を進めてください」と言われ、店名ロゴの発注や、オープニングスタッフの面接まで完了していた段階。ここでオーナーが、直前になって「もっと家賃を高く払ってくれる別の人が見つかったから、君との話はなしね」と一方的に破棄した場合。
この具体例Bこそが、「確実に契約できる」という相手の信頼(期待)を不当に裏切った状態であり、「契約締結上の過失」の責任を追及できる典型的なケースとなります。

2. 責任が問われる代表的な2つのパターン
契約締結上の過失が問題となる場面は、大きく分けて以下の2つのパターンに分類することができます。
ここでも根拠となるのは、先ほど挙げた民法第1条第2項の「信義誠実に行わなければならない」という文言です。この文言から派生する具体的な義務違反の形を見ていきましょう。
パターン①:不当な破棄(交渉の不当破棄)
契約が成立する確実な期待を相手に与えておきながら、正当な理由なく、一方的な都合によって契約の締結を拒絶するパターンです。
たとえば、SNSで知り合ったクリエイターに「来月、当社の新キャラクターのデザインを正式に発注します。つきましては、他の案件を断ってスケジュールを開けておいてください」と強く要請し、クリエイターが他の仕事をすべて断って待機していたにもかかわらず、直前になって「やっぱり社内で内製することになったので、発注はナシで」と断るようなケースです。
パターン②:説明不足・隠蔽(不実表示・告知義務違反)
契約を結ぶかどうかを決める上で、相手方にとって極めて重要な事実(不利益な情報など)を、あえて隠したり、虚偽の説明をしたりして契約を成立させるパターンです。
例えば、中古マンションの売買交渉において、売主が「数年前に内装をフルリフォームしたばかりの綺麗な物件です」と説明し、それは事実であるものの、「実は来月から、南側の隣接地に自社の視界や日当たりを完全に遮る高層マンションの建築計画があり、すでに説明会も行われている」という事実をあえて告げずに交渉を進め、契約を成立させるようなケースです。

3. 「契約締結上の過失」の法律上の根拠(法的性質)
この法理を扱う上で、避けて通れない最大の論点が「この責任の法律上の根拠(正体)は何なのか」という問題です。これについては、民法第709条が定める「不法行為(ふほうこうい)」を根拠とするのが判例・実務の立場です。まずはその条文から確認しましょう。
民法第709条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
民法第709条のなかで最も重要なのは、「法律上保護される利益を侵害した」という文言です。
言葉を換えて説明します。契約締結上の過失によって傷つけられた「確実に契約が成立するだろうという相手の信頼(期待)」は、まさにこの「法律上保護される利益」に該当します。
そして、正当な理由なく交渉を破棄したり、重要な事実を隠したりする行為は、この利益を「侵害した」と評価できるため、不法行為責任(民法第709条)として損害賠償を請求できるというのが判例の基本的なロジックです。
別の表現をするならば、まだ契約が成立していない以上、約束違反を責める「契約責任(債務不履行責任)」を追及することはできません。
そのため、街中での交通事故と同じように、「法律が定めた一般的なルール違反」として、不法行為の枠組みを使って被害者を救済するアプローチをとるのです。

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