民法では、権利能力という用語が登場します。
その他、意思能力や行為能力といった類似の用語が多々存在する為、概念の把握が難しくなっています。
そこで、今回は、まず権利能力という言葉・用語について押さえておきましょう。
権利能力とは?
権利能力とは、私法上の権利義務の主体となり得る法律上の地位・能力を指します。
日本において権利能力を有するのは、自然人と法人です。また、例外的な場面に限られますが、胎児も権利能力を有することがあります。
権利義務の主体となり得るとの意味は、法律的に見れば、権利や義務が直接帰属し得る資格を有しているということを意味します。
平たく言えば、社会生活において、主体・主役たりうる地位を有するという意味です。
社会のステージに立っているということ
もう少しわかりやすいイメージで言えば、権利能力を有するというのは、社会生活という大きなステージに立っていることを意味します。
権利能力が無いという状態だと、社会やビジネスというステージにそもそも立てません。
たとえば、家も所有できませんし、労働契約をする地位もないので、労働して賃金を得る権利もない、ということになります。
権利能力があるからこそ、人には所有権や給料請求権が帰属し得るわけです。
類人猿を例に出すと、本当に頭のよい類人猿は、単純作業なんかはもしかしたらできるかもしれません。猿回しのお猿さんなんかも、働いていますよね。
しかし、彼らは権利能力を有しませんので、彼らに労働契約してお金を得るという権利を帰属させることはできないわけです。
AIも一緒です。AIがいくら賢くなっても、権利能力が無い以上、彼らは権利義務の主体足り得ません。そもそも、人間と同一のステージには立てないのです。
社会生活・ビジネスにおける主体となり得る地位、すなわち権利義務の主体となり得る能力、これが権利能力です。
権利能力を有する者
日本の民法において、権利能力を有するのは、原則として、自然人と法人です。自然人と法人が社会生活の主役、というわけです。
ただ、例外的に、胎児も権利能力を持つ、とされる場合があります。一定の場面においてのみ、胎児にも、権利が認められているという訳です。
自然人について
自然人というのは生きている人間のことです。出生から他界するまで、自然人は権利能力を有します。
その権利能力には、制限、限定はありません。
「生きている」というだけで、社会生活すべての場面においてステージに立てる、ということになります。
なお、これは、現代の日本においては当たり前のことですが、人が生きている、というだけで、完全な権利能力を有するのは、歴史的に見れば、ごく最近のことです。
奴隷制度などを前提とする社会等においては、生きていても,社会のステージには立てないということが多々あったのです。そこでは、権利義務の主体ではなく、客体でした。
胎児について
胎児は、原則として、権利能力を有しません。これは、胎児は、社会生活において、まだ契約などの主体・主役になれないことを意味します。
ただ、民法は次の3つの地位、場面に限り、例外的に胎児に権利能力を認めています。
① 相続人足る地位(民法886条第1項)
「胎児は、相続については、既に生まれたものとみなす。」
② 受遺者たる地位(民法965条)
「第886条及び第891条の規定は、受遺者について準用する。」
③ 不法行為に基づく損害賠償(民法721条)
「胎児は、損害賠償の請求権については、既に生まれたものとみなす。」
これらは、胎児に対して、①相続人となりうる地位・資格、遺贈の相手方となりうる地位・資格、③損害賠償請求権の主体となりうる地位を与えるものです。
この3つの地位に限っては、胎児であっても生きている人間(自然人)と同一に扱うべき、という法的価値判断に基づいて、胎児に権利能力が与えられています。
相続や遺贈、不法行為に基づく損害賠償請求という3つの場面においては胎児も社会生活上のステージに立つ一人といえます。
法人について
法人というのは、法人格を認められた団体です。たとえば株式会社や一般社団法人などがこれに該当します。
法人は、自然人と異なり、法律によって権利能力を付与された者です。自然人に比して、権利能力は制限されます。
法律によって権利能力が制限されることもあれば、その性質や法人の定款に記載された目的によって、権利能力が制限されることもあります。
たとえば、ある判例は、農業協同組合(法人)が非組合員に対して行った貸し付け(員外貸付)は、法人の目的の範囲外として無効と扱います。
この判断は、そもそも当該法人が、員外貸付をなし得る地位にない、ということを意味します。員外貸付という場面においては、農業協同組合はステージに立てないということになります。
意思能力・行為能力との違い
権利能力は、意思能力、行為能力とは全く異なる概念です。以下、意思能力と行為能力について簡単に説明しますが、そもそも権利能力とは次元の異なる概念だと思ってください。
意思能力との違い
意思能力というのは、ざっくり言えば精神能力です。自分の行為がどのような結果を生むか、判断できる精神的な能力を指します。
意思能力は、その人の精神的な能力の話ですので、ある人が権利義務の主体となり得るか、という観点とは全く異なります。
たとえば、赤ちゃんは、自らの行為がどのような結果を生むか等、到底判断を付けることはできませんので、意思能力はありません。
しかし、人である以上、権利能力を有します。生まれた時から、社会というステージに既に立っている訳です。
たとえば、赤ちゃんであっても、預金の名義人や不動産の名義人になり得ます。これは赤ちゃんが権利能力を有しているからです。
行為能力との違い
行為能力は、単独で法律行為を行いうる能力を指します。
たとえば未成年者は行為能力を欠きますし、成年被後見人などは、精神上の障害によって判断能力を欠く常況にあることを理由に、家庭裁判所の審判によって、行為能力が制限されています。
行為能力を欠く者が行った法律行為は、取り消しの対象となり得ます。
ただ、これは、権利能力の有無とは無関係です。
行為能力を制限された制限行為能力者であっても、当然、社会生活のステージには立っています。たとえば、未成年者であっても通常は親権者の同意があれば、銀行預金の名義人になれますよね。
行為能力を制限する仕組みは、制限行為能力者をステージに立たせないのではなく、ステージに立つ制限行為能力者を保護するための仕組み、と位置づけられます。