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債権が有効に成立するための要件

債権とは、たとえば、代金の支払いを受ける権利、あるいは物を引き渡してもらう権利など、人に対し、行為を要求する権利です。

しかし、債権が債権として、有効であると認められるためには、一定の要件があります。

給付の適法性と確定性

債権の内容は、法律や公序良俗に反しない「適法性」及び何を行うべきかが明確な「確定性」を備えている必要があります。
これらが欠けると、債権としての有効性が否定されます。

債権の目的を解説する上で欠かせないのが、以下の条文です。

民法第399条(債権の目的)
債権は、金銭に見積ることができないものであっても、その目的とすることができる。

この条文は「経済的な価値がなくても債権になる」と言っているに過ぎませんが、学説上、前提として債権の目的たる行為が「適法」で「確定」していることが求められます。

給付の適法性(90条との関係)

「適法性」とは、債務者が行うべき行為(給付)が法律に違反せず、社会的に妥当であることを指します。

原則: 当事者が自由に契約しても、その内容が公序良俗に反すれば無効です。

具体例: * 麻薬の売買契約: 「代金を払ったから大麻を引き渡せ」という債権は、公序良俗に反し無効です(90条)。

SNSでの誹謗中傷代行: 「特定の人をネットで攻撃してくれたら報酬を払う」という契約も、反社会的なため、債権として成立するか強い疑義があります。

もしこれに適法性が不要だとしたら、裁判所が「被告は原告に対し、速やかに大麻を引き渡せ」「特定の人をネットで攻撃せよ」という判決を下すことになってしまいます。

これでは法の自己矛盾といわざるをえません。

給付の確定性

「確定性」とは、債務者が「何をすればいいのか」が具体的に決まっている、あるいは決める基準があることです。

何をすればいいのか決まっていなければ、裁判所も何を命ずればよいかわかりません。

もっとも、契約時に何をすべきか完全に決まっていなくても、後から客観的に決める手段があれば、この確定性の要件は満たすと考えられます。

たとえば、中古車の売買につき、現時点でいくら払うか確定していなくても、 「時価で売買する」あるいは「第三者機関Aの査定額に従う」といった決め方であれば後で確定できるため、当該売買は有効です。

給付の可能性

現代の民法では、契約時に実現不可能であっても債権は無効にはなりません。代わりに「履行不能」という枠組みで、損害賠償や解除といった責任の問題として処理されます。

条文の確認

かつての民法では「最初から不可能なことは無効」とされていました。しかし、平成29年の改正で大きく考え方が変わっています。

民法第412条の2(履行不能)
①債務の履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして不能であるときは、債権者は、その債務の履行を請求することができない。
②契約に基づく債務の履行がその契約の成立の時に不能であったことは、第415条の規定によりその履行の不能によって生じた損害の賠償を請求することを妨げない。

現在の民法の考え方

現在の民法は、「原始的不能(最初から無理なこと)」も契約は有効であるという前提に立っています。

そもそも、 物理的・社会的に無理なことは、裁判所に訴えても「強制」はできないため、かつての民法は、これを無効と考えていました。

しかし、現在の民法は、これをひとまず有効としたうえで、請求はできないものと整理した上で(412条の2の1項)、損害賠償請求の問題として取り扱う(同2項)という建付けになっています。

例えば、ネットオークションですでに火災で焼失して存在しない一点物のアンティーク時計を、出品者が「ある」と誤信して売却した場合を考えてみましょう。

旧法では、この場合、そもそも物が無いなら契約は無効と扱います。

他方で、現行法は、この契約を有効有効と見ます。しかし、時計そのものの引渡しは請求できない(412条の2第1項)。

その代わり、買い手は「手に入ると思って準備した費用を返せ」といった損害賠償(415条)を相手に求めたり、契約の解除(542条)を求めたりすることになります。

給付の経済的価値と法的拘束力

債権は必ずしも「お金」に換算できる必要はありません。精神的な満足や宗教的行為も対象になり得ます。

最後にもう一度、399条を確認しましょう。

民法第399条
債権は、金銭に見積ることができないものであっても、その目的とすることができる。

私たちの日常生活では、金銭的な価値がない(=売買市場がない)行為も債権の目的になります。

たとえば、ピアノの練習につき、隣人者間で、「何時から何時は音を出さない」という約束をした場合、その経済的価値は不明確といわざるをえませんが、これも立派な債権であると考えられます。

また、 宗教的な行為(念仏を唱えるなど)を目的とする契約も、理論上は債権として成立し得ます。

【注意】

ここで注意が必要なのは、「約束」がすべて「債権(法的義務)」になるわけではないという点です。
これを「好意関係」や「道徳的義務」の問題と呼びます。
もし、すべての口約束を「債権」として法が保護しようとすれば、私たちの社会は息苦しくてたまらないものになってしまいます。
法を扱う場合、私的な領域にどこまで踏み込むべきか、常にこの境界線を意識することが必要です。