在監者や公務員などについては、一般国民とは異なる特別な制約が課されると言われます。
裁判で問題になりやすいのは、思想良心の自由(憲法19条)や「知る権利」や「表現の自由」(憲法21条)です。
なかでも有名なのが、「よど号ハイジャック新聞記事抹消事件」と「死刑確定者の信書発送不許可処分取消請求事件」にかかる最高裁判決です。紹介する判決が二つしかないので、コメントは厚めにつけておきました。
以下紹介します。なお、双方の判例ともに裁判所の判例検索システムにかかる判決全文にリンクを張っていますので、ご参照ください。
よど号ハイジャック新聞記事抹消事件 最高裁昭和58年6月22日判決
よど号ハイジャック新聞記事抹消事件は在監者の人権に関する最も有名な判決の一つです。
⇒よど号ハイジャック新聞記事抹消事件 最高裁昭和58年6月22日判決全文へ
①権利制約根拠について
在監者にも閲読の自由は保障されるが、一定の制約は受ける。
「未決勾留は、刑事訴訟法の規定に基づき、逃亡又は罪証隠滅の防止を目的として、被疑者又は被告人の居住を監獄内に限定するものであつて、」・・・「逃亡又は罪証隠滅の防止の目的のために必要かつ合理的な範囲において、それ以外の行為の自由をも制限されることを免れない。」
また、監獄内で被拘禁者を集団として管理するにあたっては、「内部における規律及び秩序を維持し、その正常な状態を保持する必要があるから、この目的のために必要がある場合には、未決勾留によって拘禁された者についても、」「身体的自由及びその他の行為の自由に一定の制限が加えられることは、やむをえない」
【閲読の自由の制約根拠】
この事件は、拘置所長が、未決拘留者が定期購読していた新聞記事中、よど号ハイジャックに関する記事を全面抹消した処分が違法ではないかが争われた事件です。
なお、未決拘留者というのは、有罪か無罪かが決まっていないが犯罪の被疑事実により勾留されている者をいいます。
事件との関係において、上記の重要判示中に特に押さえておくべきポイントは、制限根拠として、「逃亡、罪証隠滅の恐れ」のほか、「施設内の規律・秩序維持」をあげた点です(上記後段部分)。
未決拘留者にハイジャック機時の新聞を読ませたからと言って、逃亡や罪証隠滅のおそれが具体的に高まるとはいいがたく、本件では「規律秩序維持」が実質的な制約根拠となるといえます。
次に述べる判示部分ともつながりますが、実質的な規範立ても、規律秩序維持との関係で構成されます。
②未決拘留者の閲読の自由の制限について
この判決では、上記根拠に基づく制限の必要性(利益)と閲読の自由につき比較衡量がなされています。その上で、次の重要判示をしています。
<重要判示ポイント>
監獄内の規律及び秩序の維持のためにこれら被拘禁者の新聞紙、図書等の閲読の自由を制限する場合においても、それは、右の目的を達するために真に必要と認められる限度にとどめられるべきものである
被拘禁者の新聞紙、図書等の閲読の自由の制限が許されるためには、「具体的事情のもとにおいて、その閲読を許すことにより監獄内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性があると認められることが必要であり、かつ、その場合においても、右の制限の程度は、右の障害発生の防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるべきものと解するのが相当」である。
【判断基準など】
この事件において最高裁は、新聞閲読の自由は憲法19条や21条の派生原理として当然に導かれるとしつつも一定の制限を受けるとしました。
その上で、規律秩序意思のために閲読の自由を制限する場合、その目的を達成するために「真に必要と認められる限度」に留められることが必要としつつ、具体的な判断基準としては、監獄内の規律秩序に放置できない程度の障害が生ずる「相当の蓋然性」があること、その制限の程度が障害発生のために「必要かつ合理的な範囲」にとどまること、をあげました。
ここでいう「相当の蓋然性」の認定の仕方については、ぜひ判例全文を見てください。
本件新聞記事抹消処分当時までの間の拘置所内の状況、新聞記事の性質などをあげて、「相当の蓋然性」があるものとしたことにつき、合理的な根拠があるとしています。
死刑確定者の信書発送不許可処分取消請求事件 最高裁平成11年2月26日判決
最高裁によれば、死刑確定者の信書発送の可否は施設側の裁量判断にゆだねられる。
死刑確定者の拘禁の趣旨、目的、特質にかんがみれば、監獄法四六条一項に基づく死刑確定者の信書の発送の許否は、・・・これを制限することが必要かつ合理的であるか否かを判断して決定すべきものであり、具体的場合における右判断は拘置所長の裁量にゆだねられている。
拘置所長は東京拘置所の採用している準則に基づいて右裁量権を行使して本件発信不許可処分をしたというのであるが、同準則は許否の判断を行う上での一般的な取扱いを内部的な基準として定めたものであって、具体的な信書の発送の許否は、前記のとおり、監獄法四六条一項の規定に基づき、その制限が必要かつ合理的であるか否かの判断によって決定されるものであり、本件においてもそのような判断がされたものと解される。
⇒死刑確定者の信書発送不許可処分取消請求事件 最高裁平成11年2月26日判決全文へ
【多数意見】
まず最高裁の多数意見は、未決拘留者と死刑確定者とでは立場が異なるという前提に立つのか、上記よど号ハイジャック新聞記事抹消事件には触れていません。
死刑確定者の拘禁の趣旨、目的、特質に照らして、信書発送の拒否は、拘置所長の裁量に委ねられるとしています。
【反対意見】
ただ、死刑確定者であっても、思想良心の自由・表現の自由があるのは当たり前で、その権利の重要性に照らしてみると、信書発送の不許可には、より強度の正当化根拠が必要ではないか、との意見が当然ありえます。
憲法の勉強をしていると、「精神的自由は特に大事」と習うことになりますが、この視点から見ると、多数意見は「えっ!?それでいいの?」ってなる部類の判断ではないでしょうか。
本判決には反対意見が付されていますが、管理人個人としては、反対意見の方が説得的だと思います。
⇒裁量判断の内容が不明
まず、本件では、この拘置所長がどのような事情を考慮して、信書発送の拒否を判断したのかにつき原審を通して具体的な認定がされていません。
当時の拘置所の基準では、死刑確定者の信書の発出は、次の二つのいずれかに該当しない限り、不許可とされる取り扱い(基準設置)がなされていました。
①本人の親族、訴訟代理人その他本人の心情の安定に資するとあらかじめ認められた者にあてた文書
②裁判所等の官公署あての文書又は訴訟準備のための弁護士あて等の文書で、本人の権利保護のために必要かつやむを得ないと認められるもの
完全に憶測ですが、本件不許可処分に際しては制限の必要性・合理性は検討されず、「この二つに該当しないから」との理由だけで行われたのではないか、との疑念も生じうるところです。
⇒文書の内容が思想・良心と結びついている
しかも、本件で死刑確定者が発送しようとしたのは、新聞社に対して、「死刑の廃止は被害者の人権を無視するものとの議論には誤解があると思う」との趣旨の文書であり、この死刑確定者個人の思想・良心と深く結びつきます。
管理人個人としては、拘置所が具体的な事情を考慮することなく「上記二つの基準のいずれにも該当しないから」との理由でこの文書の発想を制限したとすれば、これは違憲ないし違法の判断を受けてもやむをえないのではないか、という気がします。
裁量論をとるとしてもその逸脱につき、より慎重な審査が必要と思うところです。
「具体的な信書の発送の許否は、前記のとおり、監獄法四六条一項の規定に基づき、その制限が必要かつ合理的であるか否かの判断によって決定されるものであり、」までは良いとしましょう。
それでも、その後に続く「本件においてもそのような判断がされたものと解される。」の部分は、こんなにお粗末な認定で済むの?と感じざるを得ないところです。